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Vol. 02 vol.01
ピーマン農家

ピーマン農家 安部昭市さん、橋本 剛さん、𣘺本一哉さん(JA福島さくら)

三春町のピーマン栽培のレジェンドである安部昭市さん、安部さんのお弟子で2021年に就農した橋本剛さん、そして、三春町の農家さん達の頼れるパートナーであるJA福島さくら 西部営農経済センター 営農指導員の𣘺本一哉さんにお話を伺いました。

ピーマン作りをはじめたきっかけとは?

昭和初期から平成にかけて三春町の農業は怒涛の変化が起きました。町の特産品は葉たばこや養蚕だったのですが、輸入自由化に伴って安い素材や商品がたくさん入ってきて、大打撃を受けたんです。それに高齢化も進んでいましたから、軽量作物で、高齢者でもはじめやすいピーマンはどうか、ということになったんですね。いろいろな方に手助けいただいてスタートしました。最初の2、3年は泣いたり笑ったりの連続でしたが、皆で一致団結して軌道に乗せ、今では安定してピーマンを作ることができています。

東日本大震災の年、当時部会長だった阿部さんが活躍されたとか。その頃のお話をぜひ詳しく。

三春町も被災しまして、全員が混乱していた中、ピーマンの作付けはどうするかという話になりました。作る力はあるのか、育つのか、買ってもらえるのか等たくさんの不安があり、今年は作付けはしないほうがいいのでは…という気持ちにもなりましたが、実は以前業者さんから聞いていたんですよ、「一年作らなかったら(出荷が無かったら)もうそこの作物は買ってもらえない」と。だから、「俺が責任を取るから!」と説得して例年通り作りました。福島の作物が販売不能に陥る中、県と農協と生産者が一致団結して乗り越えられたからこそ今があるのだと思います。

三春町のピーマンは安定した品質で人気ですよね。理由は何なのでしょうか。

昭和62(1987)年からピーマン作りがスタートして、平成30(2018)年には30周年を迎えました。ソーラー自動灌水システム等の導入や栽培方法・肥料の研究開発、施設の整備など、一歩ずつ進めながら今に至ります。おかげさまで三春町のピーマンは全国出荷量第2位になったこともあるんですよ。エコファーマーの認定も受けています。

安定した品質のものを出荷できるというのは、栽培のこともそうですが、規格レプリカできちんと確認しながら袋詰めしているということも理由のひとつかなと思いますよ。あとやっぱり、生産者皆の情熱(笑)。

子供たちの社会科学習についてお聞かせください。

三春町では小学3年生の社会科学習でピーマンの勉強をするんですよ。それで、質問の時間があるのですが、すごく鋭いの(笑)。

「ピーマンのヘタの部分が六角形なのは何故ですか?」と聞かれた時には「そこに目がいくのか!」と驚きました。ピーマンは実は元気に育っていると花弁を6枚つけるのですが、上手く育っていないと5枚とかになる。つまり六角形のヘタは良いピーマンの印なんですね。

他にも、「栽培で一番大変なところは?」とか。その年の栽培のスタート時が一番神経を遣う。天候や時期読みは失敗するとその年は大体上手くいかないので、その頃の私たちはピリピリしているのですが、そこを子供たちは実に的確に質問してくるので、もうタジタジです(笑)。

三春町はピーマンを好きな子供が多いとか。

子供の嫌いな食べ物ってピーマンと思う方が多いと思うんですが、三春町のピーマンは苦味が少なくてパリパリ、サクサクしているんです。だから収穫体験の時には子供たちは皆生のまま「美味しい! もっと食べたい!」ってすごくパクパク食べてくれるんですよ。本当に嬉しいですよね。頑張って作って良かったな、と思う瞬間の一つです。

今後の夢は?

三春町のピーマン栽培をもっともっと盛り上げていきたいです。だから一緒に頑張ってくれる人が一人でも多く欲しい。やったらやった分だけ自分の身になり暮らしが豊かになるのが農業です。2~3時間程度のお手伝いからでも大丈夫。やってみたいな、と少しでも思ってくれたら、気軽に声をかけてもらえれば嬉しいです!

インタビューにお答えいただきありがとうございました。
グリーンファーム込木 安部 昭市 さん
ピーマン農家 橋本 剛 さん
JA福島さくら 西部営農経済センター 𣘺本 一哉 さん
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